『たちぎれ線香』 わかりやすい解答解説【動画あり】

お久しぶりです。

先日、ぼくが所属する一橋大学落語研究会一年生寄席が開催されました。

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↑フライヤーつくった

 

そこにぼくもお情けで出させてもらいました(落語をはじめてやったのは半年前だから一年生だよね!)。

 

かけたネタは『たちぎれ線香』。

実はちょっとしたプロジェクトとして、台本から演出まで丁寧に作り上げています。

 

というのも落語うまうまの先輩Nさんに「君に合うと思うから」とこのネタを勧めていただいて、解釈の部分から演技指導までみっっちり手伝ってもらったのです。

 

おかげさまで大きな失敗もなく、本番を乗り切ることができました。

 

しかしこれで終わるのももったいないので、解説をつけたいと思います。

 

自分の制作物に自分で解説をつけるのはダサダサのダサなのは承知の上ですが、

  1. 今回の解釈を記録しておきたい
  2. 本とか映画見たあとに解説・解説のブログ読むのたのしい
  3. ぼくの演技力不足できちんと伝えきれていない気がする

という理由で書き残しておこうと思います。

 

 

 

たちぎれ線香 原作について

 

原作をご存知ない方のために簡単に紹介しておきます。

まず演者は、かつて芸者への花代(支払い)を時間で換算するために、線香が燃えた長さを測っていたことを説明する。

とある商家(上方では船場、東京では本所か日本橋)の若旦那は、それまで遊びを知らず誠実に働いていたが、友達に誘われて花街(上方ではミナミ、東京では深川か築地)へ行き、置屋の娘で芸者の小糸(東京では美代吉とも)に出会い、一目惚れをした。

若旦那はたちまち小糸に入れあげ、店の金にまで手をつけるにいたる。親族や店員による会議が開かれ、番頭は「乞食の格好をさせて追い出し、町を歩かせればお金のありがたみがわかるのではないか」と言い放つ。それを聞いた若旦那は逆上し、「乞食にできるものならやってみろ」と言うが、服を脱がされるとたちまち「ほかのことなら何でもするから許してくれ」とトーンダウンする。番頭は、ふたりを逢わせないようにするために、若旦那に対し店の蔵の中に押し込め、100日間そこで暮らすよう言い渡す。

小糸の店からは、毎日のように手紙が来るが、番頭は若旦那に見せない。若旦那が蔵住まいになって80日目、ついに手紙が来なくなる。

100日が経過し、若旦那は蔵から出ることを許される。若旦那は「おかげで改心した」と語り、番頭に感謝の言葉をかける。番頭は、最後に届いた手紙を若旦那に見せる。

「この文をご覧に相なりそうろう上には 即刻のお越しこれ無き節には 今生にてお目にかかれまじくそろ かしく 小糸」

番頭は「色街の恋は80日というが、こんなことを書いて気を引いて、薄情なものですなあ」と言う。若旦那は「蔵の中で願をかけていた神社(上方では「天満の天神さん」東京では「浅草の観音様」)へお参りをしたい」と言って外出し、花街へ向かう。

置屋へ着くと、若旦那は女将に位牌を見せられ、小糸が本当に死んだことを知る。「若旦那が来なくなった最初の日、芝居を見る約束をしていて楽しみにしていたが、若旦那は来ない。文(ふみ=手紙)を出しても店に来ない。その繰り返しで、芸者や店の者総出で文を出したが、それでも来ない。そのうちに小糸は恋わずらいをこじらせ、食べ物を何も受けつけなくなり、あの最後の文を出した次の日、若旦那があつらえてくれた三味線を弾いて、死んでしまった」と女将は語り、若旦那の不義理をなじる。若旦那は号泣し、「蔵の戸を蹴破ってでも来るべきだった」と絶叫して、女将に事情を説明する。女将は若旦那を許し、「たまたま今日は小糸の三七日(みなぬか)。これも何かの縁」と、若旦那を仏壇に招く。

若旦那が仏前に位牌と三味線を供え、手を合わせた時、どこからともなく若旦那の好きな地唄の「雪」が流れてくる。芸者が「お仏壇の三味線が鳴ってる!」と叫ぶ。ひとりでに鳴る三味線を見た若旦那は、「小糸、許してくれ。わたしは生涯妻を持たないことに決めた」と呼びかける。その時急に三味線の音が止まる。女将は「若旦那、あの子はもう、三味線を弾けません」と言う。若旦那が「なぜ?」と聞くと、

「仏壇の線香が、たちぎれでございます」

出典: wikipedia(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/たちぎれ)

 

なっげ〜〜

まあこんな感じです。

いわゆる人情噺ですね。

 

台本を作るうえで参考にしたのは桂米朝春風亭柳好柳家さん喬です。

 

YouTube

 

米朝版を貼っておきます。

暇な人は見てみてください、すごいので。

 

 

たちぎれ線香 俺版

 

さて、今回つくった版ですが、動画を撮ってもらっていたので載せておきます。

 

YouTube

 

正直本番後は「結構いい出来だっただろ!」と思っていたのですが、いざ動画で観てみると酷いですね。

 

演技も声もイマイチでした……もっとがんばります。

 

さて、生でもしくは動画で観ていただけばわかると思いますが、原作とは色々違う点があります。

 

原作は若旦那と小糸の悲劇的な恋愛の噺であり、誰も悪くない(誰も責められない)噺です。

悪人が登場しないからこそ二人の関係はより美しく見え、涙を誘うのです。

 

ぼくは最初にこの演目を観たとき、素直に良い噺だなァと感動しましたが、段々疑問がわいてきました。

 

この噺、本当に誰も悪くないのでしょうか。

彼らは物語に都合よく感情がコントロールされているように見えます。

 

実際の人間の感情はもっとぐちゃぐちゃしていて醜いものだと思います。

 

そこで今回は、

若旦那が理性と情動の狭間で揺れ動く噺

として解釈しました。

 

理性的なもの と 情動的なもの に物語の要素を分解してみると、

理性: 店、番頭

情動: 置屋、小糸、女将、お竹

となります。

 

つまり今回の版はただの小糸との恋愛の噺ではないということです。

 

詳しくは登場人物に着目しながら解説していきます。

 

 

「小糸」の存在について

 

小糸はひじょうに重要なポジションの人物です。

原作では若旦那と恋人関係(=互恵関係)にあります。

しかし今回の版では違うベクトルが向き合っている関係です。

 

若旦那は、無意識にですが、小糸を自尊心を充たす道具としてしか見ていません。

ただ小糸と恋愛ごっこをしているにすぎないのです(本人は恋愛をしていると思い込んでいますが )。

 

その表出として、

「芝居に遅れているが、帯締めをプレゼントして機嫌を取ろうとする」

置屋に行く前に番頭に賽銭をせびる」

というシーンがあります。

小糸=道具なのでカネで関係が修復できる(壊れても修理できる)と勘違いしているのです。

 

 

しかし、小糸が死ぬことで状況は一変します。

 

小糸が死ぬということは、一方的に利用してきた道具が急に自分に刃を向けるということです。

「自尊心を保つための道具が自分のせいで壊れた」という事実が、自尊心を傷つけるのです。

 

そのため置屋のシーンは若旦那にとってホラーに近いものになっています。

 

原作では三味線が鳴り出すシーンは感動的な演出です。

しかし今回は、まるで呪いのように若旦那の目に映っています。

それ故にラストで手を合わせて必死に謝るシーンが登場するのです。

 

三味線の音が消える=線香の火が消えると部屋は真っ暗。

 

ここでやっと、若旦那は自分が何をしてきたか気づきます。

しかしもう遅く、彼は暗闇にひとりで取り残されるのです。

 

サゲのセリフ(線香がたちぎれました)は本来女将が言うのですが、今回は若旦那が呆然と呟いて幕を閉じます。

 

最後に自分の業に気づくが、もうどうすることもできないということにも気づくのです。

 

 

※この芸者の女の子の名前は人によって様々ですが、「小糸」という名前は「たちきれるもの」として連想しやすいので選びました。

 帯締めをプレゼントしようとするのも、帯締めが「たちきれるもの」だから。

 番頭に適当に処分されたであろう帯締めは小糸の境遇を暗示しています。

 

 

番頭(と倉)について

 

番頭は演技の上でも他のキャラクターと大きく差別化をしています。

 

これは

番頭=理性の象徴

ということを強調するためです。

 

煙草を吸うシーンがありますが、あれは裁判を表しています。

感情で動こうとする若旦那を裁く(理性的にさせようとする)シーンです。

 

その裁判の結果、若旦那には倉に入るという判決が下されることになります。

 

倉もまた、理性の象徴です。

情動のまったくない、完全に理性的な環境を表しています。

 

ちなみに明言していませんが、乞食云々のくだりは最終的に倉に入れさせるための番頭の策です(米朝版と一緒)。

 

倉から出た若旦那は、番頭の目論見通りに理性的になっています。

 

「まるでつきものが落ちたようだよ」というセリフがありますが、これは小糸への情が消えたようだということを示しています。

 

しかし、小糸からの手紙を読むことで情動的に戻ってしまいます。

(本当に小糸が自分のせいで死んだかもしれないという恐怖・不安)

 

結局、不安定な若旦那に対して番頭の策は上手くいかなかった、ということです。

 

女将について

 

女将は番頭と真逆、情動の象徴です。

 

終盤まで女将は、大切な小糸が若旦那に殺されたと思っています。

それ故若旦那への皮肉や恨み、小糸を失った悲しみをこめてひとりで語りだします。

 

しかし、若旦那が100日倉に入れられていたことが発覚します。

そうなると若旦那を責めることはできなくなりますが小糸が死んだことにかわりはありません。

 

ここで女将が混乱してしまうのです。

今まで女将は、若旦那を恨むことで小糸の死に自分の中で決着をつけようとしていました。

それが突然できなくなり、パニックになります。

終盤でテンポが上がるのはこういう訳です。

 

 

若旦那について

 

この物語は若旦那の周縁のはなしとも取れますが、若旦那の心の中のはなしとも取れます。

フロイトでいう超自我とSの間で自我がぐらぐらとし続けているのです。

 

彼はずっと、自分の存在に疑問を抱いていたのだと思います。

大家の若旦那として生まれ、不自由なく生きてはきたけれども、からっぽな人間であることにコンプレックスを抱き続けてきました。

 

そんなときに自分を必要としてくれる存在に出会うわけですが、なんの経験も積んでこなかった彼は不器用なままでした。

 

結局、うまく立ち回れずにそれすらも失ってしまうというオチです。

 

なんだか絶望的で、救いのないバッドエンドのように見えます。

しかし、若旦那には恵まれた環境があったのです。

それにかまけて何の努力もしなかった、彼にも責任があるとも言えます。

そんなことを言っても、気づけない人は気づけない。

 

残酷ですが、気づけない人というのは、居場所を失っていくのです。

 

 

おわりに

 

 

なっげぇ〜〜

なに?ここまで読んでる人いるんですか?

読んでくれる人にはなにかあげたいですね、パインアメとかね

 

正直ここに書いたことが正確に伝わるほど良い落語ができなかったことが悔やまれますが、いつかまたやりたいですね。

 

まあ、落語はじめてみっつめのネタにしては頑張ったでしょ!ね!

 

しかし久々に文章を書くと下手になってるな〜って感じますね〜

 

読みにくかったとは思いますが、ここまでありがとうございました!ばいばい!!