掌編 リピート・ガール・アムネジアⅰ(彼)

ある経験を重ねるごとに、そのものの色が薄れていく。下ろし立てのビビッドカラーはだんだんと淡くなり、いつかは真っ白になってしまうのだろうか。僕は時折そんなことを考える。
僕たちは相変わらずいつものスタバで向かい合っていた。「高校最後の夏」は雑に齧られてゆく。僕は数学の問題を解き、彼女は読んでいる推理小説の謎を解こうとしていた。
「そろそろ勉強なさったほうがいいと思いますが」
僕はずっと本を読んでいる彼女に向かって声をかけた。
「大丈夫だよ」
彼女は顔も上げずに言った。
「この前のテスト、ほぼ全教科赤点だったじゃん」
「だってあんな量、急にやれって言われても無理だもん」
急にやれと言われたわけではない。テスト期間があったはずだ。そう言っても彼女はそんなものはなかった、の一点張りだった。「テスト期間」などという言葉も知らない、と言った。
すっかり忘れていたが、彼女は普通の高校生ではなかった。彼女は永遠に高校生だった。彼女はずっと高校生を繰り返す。これまでも、これからも。そしてこの高校3年生の夏は累計268回目だった。自称なので本当かどうかは確かめようがないが。
初めて出会った時、(彼女にとっては268回目だが)彼女は わかるかい、君、つまりはタイムリープだよ、と得意げな調子で自分の奇妙な境遇について説明した。
僕はコーヒーを一口飲んだ。彼女のテスト期間についての記憶が無いことは彼女の「繰り返し」に関係があるように思われた。何度も高校生を繰り返してきたために彼女のなかにあったテスト期間という概念は擦り切れ、とうとうすっかり漂白されてしまったようだった。数学の問題集に目を落とす。指数関数のグラフが描かれている。y=(½)^x。だんだんとゼロに近づく切ない形をしたグラフを眺めた。
彼女はやはり勉強することはなく、飲み終わったフラペチーノのカップを見つめていた。そしてふぅ、とため息をついて
「次の抜き打ちテスト、いつかなぁ」
と呑気に言った。
僕は上手く笑うことができなかった。