植物人間筒バシバシ事件

時折思い出してしまう強烈な記憶というのは誰しも1つ2つ持っているのではないだろうか。その出来事に遭遇したときに刻み込まれた脳のシワをアイロンにかけるのは容易なことではない。ぼくも未だに突然思い出してしまうことが幾つかある。失敗したことや恥ずかしかったことは忘れたくても忘れられないものだが、「全く理解できなかったこと」も意外と頭にこびりついていたりする。そういう話だ。

 

ぼくは高校受験のために塾に通っていたのだが、ある女子グループからたいそうイジられていた。なんならいるだけで笑われる。いたっていいじゃないか。みつをが生きていたら擁護してくれるに違いない。彼女らはぼくより頭の良いクラスに所属していたので圧倒的学力差でマウントをとっていた。勝ち目がない(ぼくは勉強したくなかったのでその差が埋まるはずはない)。屈辱でくちびるを噛む毎日が続いたのでくちびるが切れ、8針縫った。これは嘘だ。ある日ぼくが塾で自習をしていると、例のグループがこちらを指差し何か言いながら笑っている。人に指をさすなと教わらなかったのか。育ちが悪いな、と思いながら勉強していたが、その会話が自然と耳に入ってくる。

「生えてる」

彼女らは確実にそう言っている。ぼくを指差し、「生えてる」と笑っているのだ。およそ人間の状態に対して使う言葉ではない。ただ、すごくバカにされているのはわかる。はっきりわかる。ぼくは流石にどういう意味なのか訊いた。すると「イスから生えてるみたいだから」という返答が返ってきた。意味がわからない。しかしその女子グループ内では「わかるー(笑)」と共感の渦である。ほんとに思ってんのか。「根っこ生えてるよね」とも言われた。根っこが生えてないことを示すためにイスから立ち上がると「浮いたー(笑)」と言われる。万事休す。四面楚歌。どうしようもなくなったぼくは「生えてる奴」として塾人生を全うした。

くちびるを縫うこと7回、ぼくはなんとか後期入試で志望していた高校にすべりこんだ。中学を卒業し、高校入学までフラフラと根無し草のように過ごしていた。根無し草のように。するとある日、例のグループの一員である女子からLINEがきた。どうやらぼくの進学先に自分の中学の仲のいい友達も進学するらしい。だから仲良くしてやってくれ、ということだった。その女子とは違う中学校に通っていたので彼女の友達は顔すら見たことがない。とりあえず冗談でかわいいのかどうか訊いてみると、「うーん…」と返ってきた。女子って普通そういうの、思ってなくてもかわいいって言うもんじゃないの?その子の名前を教えてもらい、もし会ったら声をかけようかな、程度に思っていた。

それから日は流れ、高校の入学式当日を迎えた。人見知りのぼくは友達ができるか不安な気持ちでクラス分けの紙を見た。良かった、中学校の友達と同じクラスだ。ほっとしながら今までぼくの人生で交わってこなかった名前の羅列を眺めていた。すると1つ、見覚えのある名前があった。例の女の子だった。全9クラスで一緒になるなんてなかなかあることではない。ぼくは話しかけてみることにした。めちゃめちゃ面白い子だと聞かされていたので期待していた。だが、面白いベクトルが完全に変人方面に向いていた。ダウンタウンを期待して行ったお笑いライブで出てきたのは江頭だったのだ。少し変わってはいたものの、仲良くやっていければいいなと思った。自己紹介程度でその会話は終わった。

入学式が終わり、帰りのホームルームが終わった。男子はみんな少し大きめの学ランのせいか肩が角ばっていて、女子はみんなスカート丈がまだ少し長かった。中学時代有名だった奴の周りに人が集まり、ワックスがけされて蛍光灯が反射する廊下ではどの部活に入るか、などの議題が持ち出されていた。突然放り込まれた新しい学校、新しい肩書き、新しい制服、新しい人の中でみんなが浮き足立っているようだった。そう、根無し草のように。そんな「新しさ」にあふれ、騒々しい教室の中、ちょっとした人だかりができていた。不思議に思ってのぞいてみると、例の女の子がなぜかあめちゃんを配っていた。なぜあめちゃんを配るんだ。まさか高校生活を円滑にするための潤滑油か。先に餌付けしとこうってのか。策略家だ。しかも彼女の感じと相まってすごく大阪のおばちゃんみたいだ。祖母が大阪に住んでいるのでなんとなくわかるがあんな感じだ。彼女はぼくにもあめちゃんをくれようとした。ところでぼくは思ったことを吟味せずにすぐ言ってしまう悪癖がある。普通の人には標準装備されている喉のストッパー的なのが馬鹿になっているのだ。「なんか、大阪のおばちゃんみたいだね」ぼくは感性の赴くままにそう言った。すると彼女の目が一瞬にして吊り上がった。彼女は突然持っていた筒でぼくをバシバシと殴り、

「この植物人間が!!!!」

と教室中に響き渡る声で叫んだ。バシバシ。彼女の猛攻は止まない。痛い。そもそもなんで筒を持ってるんだ。あれ、その筒、クラスの係割りを書く模造紙を丸めたやつじゃない?ダメだろそれは。痛い。ぼくは素直に謝り、やり過ごした。

なんだったんだ一体。ぼくは考えた。めちゃめちゃ歩いてるぞぼくは。どこが植物人間なんだ。そこで気がついた。あの塾の女子である。きっと「生えてる」という情報を彼女に渡したのだろう。そして 生えてる→植物→植物人間という思考回路に至ったのだ、おそらく。ぼくはどうやって紹介されていたのだろう。「同じ塾にイスから生えてる奴がいるんだけどぉ、○○ちゃんと高校一緒だからぁよろぴくぴく☆」とか言われていたのか。最悪じゃないか。

 

彼女がなぜあんなに怒ったのかは未だにわからない。2年生以降はクラスも違ったので全く話すこともなく、理由を聞くこともできなかった。だがあの植物人間が!という叫び声と筒バシバシはぼくの記憶の壁にしっかりとしがみつき、時々再生装置のスイッチを押している。